« 今年を 最後まで 愛しぬこう | トップページ | ライナー・マリア・リルケ »

2013年12月 3日 (火)

今日も、書きます

今日も、書きました。

「告白?!子供のころ、私は、目が見えなくなったフリをしたことがあります。」

・・・

090800book

.

この数日、臨時国会のニュースや、中継を見て、いろいろなことを、考えています。

「秘密保護法」というのは、自分と、どういう関係があるのだろうか?そもそも、政治や、宗教のことは、深く考えたり、関わったりしない方が、楽しく、穏やかに、暮らせるのではないか?

ところが、この数日で、いろいろな分野の人たち、政治家、学者、演劇人、映画関係者、音楽、表現活動にかかわる人・・・本当に、いろいろな、方面の人たちが、「反対・懸念」の意思表明をしています。スポーツと、美術家は、いるかどうか、よくわかりません。

国連も、日本政府の、強行採決を辞さない様子に、忠告しています。

今、私は、文字が、読めて、本当に良かったと、思います。いろいろな、環境で、情報を、知ることができるからです。

子供のころは、本を読むのが大好きでした。ジャンルは、バラバラです。古い本も、新しい本も、読みます。

文字が読めるようになったのは、わりと早くて、幼稚園の頃には、スラスラ読めました。何かの発表会で、紙芝居を読むことになった時、一緒に練習していた子は、読むのが得意ではなくて、先生や親から、いろいろ言われて、泣いたりして、可哀想でした。

それで、私は、紙芝居をやめたくなって、自分が、目が見えなくなったフリをしました。でも、そんなことは、すぐにバレテしまうのだけれど。

あえて、言いますが、勉強は、あまり、得意ではありません。

どうして、そんなことを、思い出したのかというと、たぶん、今までの、日本の社会は、頭のいい人や、才能のある人は、力を発揮しないようにしたほうが、生きやすいというのは、こんな気持ちなのかな、と思ったからです。

もちろん、子供の頃の、私が、目が見えなくなったふりをしたのと比べては、失礼ですが、思いやりだったり、優しさだったり、生活のため、仕事のため、大切なものを、失わないために、不条理を、大人の考えで、受け入れているのかなと、感じたからです。

でも、その思いやりや、優しさを、悪用して、世の中のほんの数パーセントの人だけが、選ばれた人間のように振る舞っていいのでしょうか?

選挙で選ばれたといっても、一票の格差、違憲状態、選挙無効、と判決されているのに、まだ、威張り続けて、大丈夫なのでしょうか?

嘘や秘密は、大切なものを守るために必要だ、と言う人もいますが、嘘や秘密は、それによって、誰が得をするのか、誰にとって必要なのか、誰を守るためなのか、ちょっと、考えれば、それで、自由が奪われる人のほうが多いのは、簡単に、わかることです。

政治には、いろいろな方法で、参加したり、表現することが、認められています。

署名、請願、陳情、デモも、その一つです。「デモの騒音は、テロだ」という人がいたそうですが、内容の本質を考えずに、そういうことを言うのは、「あなたの、顔が、きらい」というのと、同じレベルです。

私は、字が読めて、書けて、本当に良かったと思います。

文字の読み書きを、最初に、私に教えたのは、母です。でも、ある時、母が、私に言ったことがあります。

「本なんか読むから、余計なことを、考えたり、悩んだりするのよ」

いいえ、お母さん。

誰かが、本に書かなくても、読まなくても、風の中に、音の中に、風景の中に、悲しみや痛みや、理不尽や、暴力は、見えない文字で、びっしり隙間なく、書かれているのです。

見えますか?読めますか?

.

« 今年を 最後まで 愛しぬこう | トップページ | ライナー・マリア・リルケ »